2011年1月24日月曜日

自然農実践講座の開講

1/23、今年初めての自然農実践講座を開講しました。
テーマは、「自然に還る」、副題は、「自分本来の生き方」

今年、自然農を始めて3年目の倶楽部。
現代日本における自然農の歴史を振り返り、一般に自然農による作物は、形が小さく、生育も遅く、生産量も落ちるなどと言われ、現代農法として疑問符を持たれる向きもある中で、何故、今、自然農が求められているのか? 何故、自然農でなければならないのか? 改めて、自然農を実践する意義について考えて見ました。

一番大切なことは、「命」が活かされているかどうか。
その命とは何か? 我々、現代人は、私も含めてまともに考えないで来ました。戦後の消費社会の中で、良い物をつくり、生産性を上げ、コストを下げ、競争社会に勝ち抜くとことを命題として駆け抜けてきました。その中で、命の大切さが叫ばれるも、その命に面と向かって対峙してきたかといえば、はなはだ心もとありません。

この事を反省する時、「命を消費」してきたという言葉がぴったりと来ます。
現に、今でも平気で、生産者・消費者という言葉を使います。我々は、いつの間にか食物を消費する人間になってはいないか?

消費するとは、消して費やすことです。これは、その時だけの使い捨てということでもあります。果たして、これで食物の持つ「命」を頂くことになるのか?

命を頂くということは、その命を感謝して頂く事、食した人の活力となり、その命が活かされることを意味します。命を感じることのなくなった食、もはや、生命体としてではなく、物としての消費材となってはいないか? 振り返って、自らの命も、本当に活かされているのか? 現代社会システムの中の一つの歯車でしかなくなってはいないか? もしそうだとしたら、自分自身も消費材となってはいないか?

このことから、単に食べものだけの話しではなく、自らの命の話しでもあることに気が付くのです。自らの命は活かされているか? 活き活きと生きているか? これは、その人本人の気づきに待つしかありません。

自らの命を活かすとはどういうことかと知った時、初めて、自然農の価値が見えてきます。 人間の勝手は許さず、自然の摂理に従い、自然の中で大らかに作物を育てたいという願いが生れます。我々は植物の命を頂いて、生きていることに気が付くのです。それは、安いとか高いとか、儲かるとか儲からないとかの話しではありません。

命と命が対峙する場、自然に還る、本来の自分を取り戻す場、それが自然農を実践する場なのです。
それを本日は確認することが出来て、有意義な一時を過ごすことができました。
ありがとうございました。

笑園主
(ゴンジ)


<追伸>
本日のお昼は、お結びに持ち寄りのおしんこと黒大豆と根菜類のスープでした。
美味しく頂きました。感謝! 感謝!
 

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