今日は、久しぶりにラフターヨガネットのメルマガに投稿した記事をここに転載します。昨年、参加したホノルルマラソンの様子です。 http://ameblo.jp/laughteryoganet/ ゴンジ ★∴∴∴∴∴☆∴∴∴∴∴*∴∴∴∴∴☆∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴★☆★☆☆ 2011年6月18日配信 ラフターヨガ・ネットのメールマガジン第21号 文責: 井山俊司(ゴンジ) 毎月8日・18日・28日発行 ★∴∴∴∴∴☆∴∴∴∴∴*∴∴∴∴∴☆∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴☆★☆★☆☆ ~ 転送大歓迎 ~ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆ 極める ★ 編集後記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆ 極める ラフターヨガの笑いは、可笑しくないのに笑ってしまうことが特徴だ。 それは一体何だろう? 可笑しくないのに笑い、そして、不思議と笑った後に何も残っていない。 これもラフターヨガの特徴といえるだろう。 何も残っていないということは、その笑ったことに捉われていないということだ。 この捉われていないということに、特別な意味があるように思う。 私は、昨年の12月12日のホノルルマラソンに参加した。 そこでの出来事を紹介しよう。 元気ハツラツの20代でも、仕事バリバリの30代の時も、人生ノリノリの40代の時でも、自分の体について責任の持てる50代の時にもマラソンをやろうなどという発想は持たなかったし、持てなかった。昨年の9月に、60歳の年を聞いてムラムラとマラソンに出ると決めたのだ、何の自信も無かったが。 昨年の6、7月に実施したラフターヨガの「わらプロ講座」で、自己解放講座を受け持った。 その意味を問い詰めていくと、マラソン位は出来ないと可笑しいということに気がついたのかも知れない。 マラソン参加を決めたはいいが、42.195キロを走るフルマラソンだ。 5キロ以上の距離を走った経験がない。 さて、どうしたものかと思案した。 多分、10キロも走れば、足がガクンガクンになることが予想された。 場合によっては、足腰が立たなくなるかもとの懸念もよぎった。 これが、普通の人の感覚だろう。 ラフターヨガ信奉者としては、これで終わってしまっては始まらない。 究極の自己解放は、常識的な観念・しがらみ・捉われから自己を解き放つことだ。 自分の思惑も願望も捨て去ったところから自己を見詰め直す。 嘗て、見たことも無い自分をそこに見出す。 なんという魅惑的な言葉か! これが極めるということか。 そして、マラソンしながらラフターヨガをやることに思い至った。 それを、密かに「ラフターマラソン」と名付けた。 苦しいとき、もうだめかと思うとき、体がどうかなってしまうのではないかと思うとき、笑って、そうした捉われから脱出するのだ。 そして、ヒタスラ自分を信じてやり遂げる。よしやるぞと胎が決る。 そう思ってからは、不思議と不安がなくなった。 12月にハワイに向けて出発するまで、殆ど、練習という練習はしなかった。 ただ、目標として、朝5時に出発して、お昼前にはゴールする。 それで、目標タイムは6時間と設定した。 6時間走り通すことを考えたら、また、冷や汗ものだが・・・。 ホノルルには、12月11日、マラソンの前日に到着した。 知り合いが二人、このマラソン大会に参加していた。 その二人は、過去に10回以上走っているマラソン経験者だ。 彼らはそれまでに十分走り込んできていた。 マラソン途中で生じるアクシデントやその防止法など、いろいろアドバイスをくれた。 兎に角、途中でスタミナが切れないように朝の食事はきっちりと取る事。 途中、水分補給を忘れずに・・・など等。 当日の朝は、午前3時に目を覚ました。 朝食は、前日から準備した幕の内弁当を3時半に済ませ、4時にスタート会場まで、バスで向った。周りの緊張した空気が伝わってくる。 マラソン参加者は、2万3千人。大半が日本人だという。 日本から有森裕子さんや高橋尚子さんらが応援に来ていた。 「ラフターマラソン」を試すのには格好の舞台が整った。 何故か、胸が高鳴る。 タイムをどうやって計るのかと思っていたが、参加者全員の靴に個人識別用のチップを装着するのだ。 スタートライン、10キロ毎、ゴールの位置にマットが敷かれ、そこを通過することで、各個人のラップタイムを検知する仕掛けになっていた。それで、一人ひとりのタイムが分り、ゴマカシがきかないようになっていた。 2万人のスタートには、約30分掛かった。 出来れば、早くスタートして、暑くならない内にゴールしたいと早目に現地に着いたが、既に、道路は長蛇の列をなしていた。押しつ押されつしながら、朝5時のスタート合図から20分経過してのスタートとなった。 アラモアナ公園を出発し、最初の10キロは、薄暗いダウンタウンの街並を走る。 車の交通は閉鎖されて、広い道路はマラソンランナーで溢れかえっている。 参加者には若い女性も多く、みんな余裕の顔で走っている。 グループで走っている人たちもいる。 新婚旅行を兼ねて、花嫁花婿衣裳に身を包んでいるカップルもいる。 なんと優雅なマラソンかなと感じつつ、自分のペースと呼吸に注意を向ける。 一緒に参加した知人も、マイペースをキープするようにとアドバイスをくれる。 出だしは上々だ! 少し明るみが出てきた頃に、ワイキキの浜辺を走る。なんとも言えず心地良い。 お腹の底から自然に喜びの笑いが沸いてくる。 お腹まで息が通るように、少しアゴを上げ、肩の力を抜いて小さな声で笑う。 殆どの人が耳にイヤホーンを付けて音楽を聞きながら走っており、ゴンジの笑いに気がつかない。笑っている間は何も考えていない自分を感じる。 よし、これで行こうと一人納得する。 ワイキキを通り過ぎると目の前に山が見えてくる。 ダイヤモンドヘッドだ。このオアフ島は火山島だ。 平らなところはほとんど無い。海岸を通り過ぎると山道だ。 固まりになって走っていた集団が段々とバラけてくる。 ここが一つの関門だ。 山の中に入ると別世界が広がる。 ここがハワイかと疑うほどの山の風景だ。 自然に景色に溶け込む。 20キロを超えたところで、体が呟く。 初めての体験ゾーンに入ったぞと。 体がゾクゾクするのを感じる。 あっはははははははは、あっははははは・・・と自然に笑う! 島の住人が、家族総出で、オレンジやバナナをサービスしてくれる。 笑って走るゴンジを見て、皆、ピースサインを送ってくれる。 美味しい!楽しい! ハワイが途端に好きになる。単純、単純。 ハワイカイを折り返して、30キロを過ぎるころには、周りの人の顔から笑みが無くなる。 やはり苦しいのだ。余裕が無さそうに見える。 ゴンジは大丈夫か!? あっはははは、大丈夫! 後ろから、白ヒゲを生やしたアメリカ人らしい二人の男性が何か談笑しながら近づいてくる。 こちらも白ヒゲじじいだ。何となく気が合う。 私があっはははと笑うと、あちらも、Vサインを出して笑う。 あちらはマラソン歴が長いのだろう、足取りが軽く、ジャーお先にと手を上げる。 一瞬の笑いの国際交流であった。 何箇所かで、沿道に街の楽団が演奏をしている。 ラッパに、ドラムにエレキギターだ。フラダンサーもいる! 思わず、体が反応してこちらも踊りだす。ラフターダンスだ! 30キロを過ぎてからの5キロが、それまでの10キロの様に遠く感じる。 この5キロがもの凄く長い。頭の上に太陽がギラギラ照りつける。 右手に見える山並みに、突如として、黒い霧が立ち込める。 不意打ちに、サーっとシャワーのような雨が背中を打つ。 何んとも気持ちの良い雨だ。 自分が走っているのも忘れさせてくれる。 そして、俄かに、山の頂きに虹が掛かるではないか! 今、ここを走っている人たちだけの異空間が広がる。 幻想の世界だ。 そして、10分もしない内に雨は止み、元のマラソンランナーに戻っていた。 この太陽で汗が綿シャツだと、浸み込んで重たくなるとの知人のアドバイス。 前日のマラソン受付会場で薄手のポリエステル製の長袖Tシャツを購入していた。 これは正解であった。快適だ! 35キロ、全てが上手くいくようになっているんだとの想いがしてくる。 そして、油断大敵とそんな想いも笑い飛ばす。 未体験ゾーンであることを体が語っている。 体は自然に動いているが、足が重く感じられる。 やはり堪えているのかと感じつつも笑いながら走り続ける。 周りは高級別荘地だという。 有名人も住んでいるらしい。 平屋の大きな家にプールが付いている。 映画でよく見る光景だ。 だけど自分はここには住まないだろうなという感覚がよぎる。 40キロ、もう大丈夫だ! そうだ、後2キロを全速力で走ってみようという気になる。 大きなカピオラニ公園にあるゴールを目指してスピードを上げる。 不思議と足は付いてくる。 ゴールの沿道の人垣が見えてくる。 ゴールを切る人たちに声援を送っている。 なんとも幸せな瞬間が近づいてくることを感じる。 ゴール! 笑いながら突き抜ける。 人生のゴールに近いものを感じる。 これが、ゴンジにとってのラフターマラソンのゴールだ! 歓喜に包まれる。 何故かカメラマンがゴンジを取り囲む。 自然とそれを受け入れる。あたかも有名人になったかのような感覚だ。 それは、目標にしていたお昼前の出来事であった。 その晩は、完走祝賀パーティーが催された。 完走Tシャツを着て、少し照れくさい。 自分を信じて、捉われないという課題を克服したという満足感が漂う。 どうも、これがラフターヨガを極めるということではないか。 こころの奥底に潜む不安、悲しみ、恨み、怒り、嫉み、苦しみ、諦め、嘆き、こだわりなど、自分でも気が付いていない人生のトラウマを引き出し、表に現し、笑い飛ばして、乗り越える。 そして、生まれ変わる。 マラソンの翌朝、体の節々が痛むだろうなと気にしていたが、なんとも無いではなか! マラソンに一緒に参加した知人を誘って、その日も40キロサイクリングに出かけることにした。良い悪いの価値判断ではなく、全て直観に従っている自分がそこにいた。 中々、人生、生まれ変われるものではないが、ラフターヨガは、そのきっかけを与えてくれる。それが、ラフターヨガの堪らない一つの魅力となっているのではないだろうか。 生きるも死ぬるも人生だが、当人が生まれ変わるくらいの意欲があるのか無いのか、それが、人生の分かれ目のような気がする。ただただ、苦しいから、辛いからそこから抜け出したいという程度の願いでは、人生は変わらない。生き方を変える、それも、命懸け、全てを投げ打って、それくらいの想いがないと神様には伝わらないのかも知れない。 ラフターヨガ、時には、自分の通り抜けてきた人生全てを笑い飛ばすような豪快な笑いもあるだろう。自分の信じてやってきた道を手放すことも。 「自己解放」。 ラフターヨガの永遠のテーマかもしれない。 そんな笑いができると人生大転換するだろう。 次回は、そんなテーマで話してみたい。 =*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* ★ 編集後記 梅雨の合間を縫って、今、畑に癒しのテラスを作っています。初めての大工仕事。 童心に還って、砂いじりに、土いじり、ノコギリを引いたりと、時間を忘れて仲間と飛び回り、これから出来るであろう空間を夢見て、腰の痛みに耐えています....(笑)。 (ゴンジ) =*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*
2011年6月22日水曜日
極める
2011年6月13日月曜日
梅雨の晴れ間
2011年6月9日木曜日
カレー
先週は月1回の食事会で、メニューはカレーでした。
その模様はゴンジさんからのメールより。
5日の日曜日は、月に一度の食事会、みなさんと一緒に「放射能なんて怖くない海藻カレー」作りにトライしました。
具財は、玉ねぎとニンニク、ショウガをベースに、ヒジキ、青ノリ、椎茸、シメジ。そして、大根、人参、畑で取れ取れの小松菜でした。カレーの香辛料は、シゲ坊に合わせてアンコウさんが調合(クミン、カルダモン、コリアンダー、ターメリック、チリパウダー、シナモン等)。
ライスは、勿論、本格派のサフランライス。
カレーにピッタリのコッポリャ漬けのラッキョウと、フルーツはタカドンお勧めのメロンとキュウィのヨーグルトライター。それに、きんちゃんお手製の畑で採れた桑の実ジャムにパン。
食後のデザートは、まめちゃん作、イチゴケーキ。ワイコさんから差し入れのブルーベリーケーキ。それに、ユリアさんからは、魅惑のお水の差し入れもあり!
次回は7/3(日)に食事会を実施します。
詳細は後日。ご期待ください!!
2011年6月4日土曜日
2011年6月3日金曜日
いのちの営みに添う
自然農とは、 「自然なる生命の法則に添い任せる農」 であり本当に楽しいものである と「自然農・栽培の手引き-いのちの営み、田畑の営み-」 に川口由一さんが書かれています。 自然農の畑の野菜たちは、自然の営みに添って、 いのちをはぐくんだり、なりをひそめたり、土に還ったり、 そういう姿を私たちは見てきました。 今日の美しい夕焼けを見ながら考えていました。 本当は、いのちの営みに沿うということはすごく勇気のいることじゃないのか。 野菜のように、生死までも自然の営みに任せるというのは、 ゆったりのんびりしているようで決死の覚悟なのではないか。 自然農を通して、私たちは、 自然の営み、いのちの営みに添う、ということを野菜たちから学んでいます。 私は、私の生命に関してもいのちの営みに任せることができる、 その勇気が出る日は来るのだろうか。
2011年6月2日木曜日
雨
雨が続いて、畑には行っているものの写真を撮るチャンスを逃しています。 台風が来て、肌寒い梅雨になり、 恵みの雨ではありますが、野菜たちの成長が気にかかります。 ただ、花が咲いた人参、種をつけたカブは背丈が1.5メートル以上になりました。 驚くほどの背の高さです。 私たちの予想を超えていますが、しかし、環境や周囲の条件によって みずからの形を自由に変えて育っています。 個性豊かです。 畑の写真がないので、自宅のプランターをご紹介します。 イチゴプランターです。真ん中ににんにくを植えていましたが、 枯れてきてしまいました。。。 イチゴは2つ。1つは収穫しておいしくいただきました。 この写真の後、ネットをかけ、外敵から実を守っています。
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