今日は、自然農の栽培について、最近の私の体験を通して感じていることを少し述べてみたいと思います。
自然農の言葉は、まだ、市民権を得ているとは言いがたいですが、普通の栽培と一体何が違うのでしょうか。まず、普通の栽培とは何でしょうか?
普通の栽培とは、今、誰でもが当たり前と思ってやっている栽培方法のことです。それは、土を耕し、肥料をやって、水をやり、草が生えれば刈って、必要によっては農薬もかけて、出来るだけ手を掛けてやれば、作物は美味しく、早く、そして、大きく立派に育つというものです。
この考えに矛盾を感じる人は非常に少ないと思います。なぜならば、これが常識として一般に行われていることだからです。
私は農家の長男として生まれ育ちましたが、高校生の時に父親から東京で農業を続けていくのは難しいと言われ、その時から、私の関心は農業以外のことに向かって行きました。そして、大学、社会人生活を通して実践してきたことは「人間に出来ないことはない。」という命題を追求することでした。
ところが、私の母親の病気を機会に考えが一変しました。大腸癌が肺と肝臓に転移し、余命を言い渡されました。何故、癌になったかの原因は分からず、薬は病気を治すものでなく、進行を抑えるものだとの説明がなされました。効くか効かないかは五分五分だが、副作用は出るとのことでした。主治医から、「もし、私の親が同じような状況だとしたら、私は薬は与えないだろう。」と正直に伝えられました。この状態で、私は何を母親にしてあげられるのでしょうか。現代医学では病気は治せない、科学がここまで進歩したのに、これは一体どういうことなのかと私の科学信奉論に赤信号が点滅しはじめました。
結局、病院から退院し、薬もやらないことに決めました。そして、母親と一緒に、病気治しの旅がスタートしたのです。それは、30年勤めた会社にピリオドを打ち、自然と対面する旅でもありました。
機械文明の中で知識偏重型で頭でっかちに育ったこの身体は、なかなか自然に馴染むことができません。一つところにじっとしていられないのです。直ぐに結果を求めてしまうのです。自分で自分の身体も感情もコントロールできませんでした。なんと不自由なことでしょう!お金を出せば何でも手に入る生活に慣れたこの身体は、待てないのです、自然に任せて育てることや、じっくり時間を掛けて物づくりすること等を。手っ取り早く、出来合いのものや、間に合わせのもので済ませてしまおうとするのです。これは、理屈でなく習性となってしまっているのです。これが自分の実態でした。
何故、人間は病気になるのか、この疑問を解くために、まずは自らの生活を振り返ることから始めました。第一に食べ物、第二に生活様式、第三に生き方まで。今までの他人任せで、自分で自分の責任も取れない生活からの脱皮です。中毒患者が、今までの生活から抜け出すのが難しいように、これは容易なことではありませんでした。 私は3年掛かりました。 偉そうなことを言っても、自分で自分の面倒が見れなければ何も変わりません、何も変えられません。
病気は自然治癒力が働いて、初めて回復に向かうのだと気づき始めました。病気は自らの身体の裏表だと気づくようになりました。そんな時に、腐らない野菜に遭遇したのです。いつまで立っても腐らない野菜、時間が立って水分が少なくなると、最後には枯れるだけです。腐らない野菜とは野草のようなものです。自然に育ったものです。そうです、病気になるとは、野菜が腐るようなものかと知ったのです。野草のような生き方が、病気にならない生き方だと分かったのです。薬や化学物質で汚れた不自然な身体に、ゆとりも無く疲れて悲鳴をあげている身体に、悪性の細菌や癌細胞が巣食って身体が腐り始めるのです。
自然に沿った野菜づくりとその食生活が、本来の自分の身体を取り戻す一番の近道ではないかと思います。クスリに頼ったり、医療機関に頼ったりすることではなく、自らの身体は自ら治さなければならないのです。これには、まず、自分の生き方を変えなくては実践が難しいかと思います。誰でも出来ることではないでしょう。自分の命と引き換えにする位の覚悟がいるかも知れません。
もう、お分かりでしょうか? 自然農栽培と普通の栽培の違いが。
野草のように、自然に沿った栽培では、土は耕しません、肥料も与えません、もちろん農薬も使いません、当然、雑草も抜きません、水もやりません。どうでしょうか、自然農栽培は、普通の栽培とは全く逆のことをしています。何故ならば、これが自然だからです。これに気づくには大変な道のりが必要です。誰でも納得のいくものではないかもしれません。しかし、今、我々がやろうとしていることは、これを手に入れようとしているのです。
私の母親は今年の2月に他界しました。癌の手術をして丸二年が立っていました。その間、私は料理の勉強をしました。出来るだけ自然のものを、私の手で作ってやりたかったからです。新米コックの作る料理をいつも美味しいと言ってくれました。ありがとうございました、お母さん。安らかにお休みください。
ゴン